トラウマセラピーは排泄行為です

と、あえて言ってしまいます。比喩ではなくて、実際のところです。トラウマにロマンを求める方には先に謝っておきます。ごめんなさい。

トラウマ反応が解消されるとき、身体で、震え、発汗、涙、発熱、あくび、咳、笑いなど
が起きたり出たりします(よだれ、鼻水、尿意も、かな)。超常現象ではなくて生理的な反応です。これはトラウマの原因(と思われるもの)が何であっても同じです。

下世話な例えをすると、便秘が解消されるようなものです。長いこと苦しんでいた場合、排泄時はちょっと大変なこともありますので、大変にならないように、いっきに出すのではなく、少しづつ、としたいところです。

私自身はこのアプローチ方法(SE™️)が、このメカニズムに則っていることが、これまたあえていうなら、とても救いになりました。

トラウマ的な出来事を経験したとき、その経験を過大評価もせず、過小評価もせずにいることは難しいです。

なんとか理由をつけて整理整頓してしまいたくなって、「たいしたことじゃない」と実際のサイズより小さい箱にぎゅうぎゅう詰めにしてみたり、必要以上にドラマチックな出来事として演出して綺麗にラッピングしてみたり、アクロバティックな辻褄合わせをしようとしてみたりもする。

解決方法を思考で考えれば考えるほど、自動的にそのこと自体を何度も何度も、舐めるように、推敲するように思い出すことになるので、結果的にどんどん忘れられない記憶になっていく。

それらの試みは、なんとか自分を保つために必要があってすることなのですが、あまりにきれいにまとめてしまうと、残念なことにトラウマ反応を解消する手間を増やすことにもなってしまうんです。

ほっとけば薄らいでいく記憶を、何度も掘り返して忘れないようにしている。ドラマチックに演出して綺麗にラッピングしてしまうと捨てるのが惜しくなってしまう。無理矢理にでも合わせた辻褄がほころびたら混乱する。

例えば、「私の闇は物凄く深いのよ!」と言う方がいたとして、それがもし1分で解消されたとしたら、その方はどうするでしょう?「私の闇は物凄く深かった。そしてそれが1分で解消された。嬉しい!」であれば良いのですが、「(たったの)1分で解消されるわけない。だって私の闇は物凄く深いんだから!」ともなり得ますよね(私はなりました!)。

その辺の複雑さを、安全にシンプルにしてくれるのが身体の反応です。身体は最も身近な自然環境です。その生理的反応は、身体をわざわざ悪い環境にするためには起こりません。思考と違って、大げさにも矮小化もしません。

身体が、必要な分だけ仕事をするのを見守ってあげればいい。そのための時間を割いて、待ってあげればいいんです。身体は賢いです。本当に!

「じゃあ、このわだかまってる感情、この、やり場のない気持ちはどうなるの?」

それは、「身体が仕事を終えた後」に、「落ち着いた状態」で、「ちょうどぴったりの分量のもの」が、「湧いて」きます。そしてその意味合いも変わっているかもしれません。ちょとだけ名残惜しい場合もありますが、、準備ができたら見送ってあげてくださいね。もちろん、まだもうちょっと一緒にいたかったら、それもアリだと思います。

そして排泄行為が終了したら、その分、そこにスペース(余裕)が回復し、トラウマ反応に「させられていた」行動もしなくてよくなります。無駄遣いされていたスペースもエネルギーも、改めて、ご自身のために使えます!

コメント

人気の投稿