終わらないこと 〜 掃除、身体のケア、トラウマセラピー

年末ですね。大掃除の季節!

以前、「大掃除どうしようか、どうやろうか」と悶々としながら、「掃除と身体ケアやトラウマセラピー 、似てるなあ」と、少しまとめてみたことがありました。

掃除してきれいになった部屋。

ずっとこの状態が続けばいいのに、ホコリは出てくる。溜まるし積もる!とムカついていたとき(笑)、「これで終了。二度と元には戻りません!」だったらいいのに、、と思ったとき、気がつきました。

「二度と元には戻りません」は一見魅力的ですが、その後、さらに良い状態があることに気づいてしまったら?

、、、変えられなかったら困るよね(汗)。

というわけで、ブログ再掲第5弾
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2015年11月22日

やっぱり「これで終わり」というのは無いですね。
身体のケアも、トラウマセラピーも、掃除も。生きている限り。

「めんどくさ〜」とも思うけれど、「いつからでも変えられる」わけです。幸いにも。

「これで終了。二度と元には戻りません!」というのは、一見、魅力的なんですが、

もしその後、「さらに良い状態があること」に気づいてしまったら?
もしくは「前の方が良かったな〜」とか、「なんかこの状態、飽きたな」などなどなど、
自分自身の見方、捉え方、体験が変わったら?

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毎日こまめに掃除をして、毎日キレイな環境で暮らす。
月一や、年一の大掃除でリセットして暮らす。

前者は、日々の掃除の負担は少なく、日々続けるという(人によっては)面倒くささがある。

後者は、一回の掃除にかかるエネルギーは大きくなるけれど、覚悟して勢いで一気にできるし、「やった感」というカタルシスも味わえる。次にやる気が出るまでホコリは溜まり続けるけれど。

現在のところ、どの辺で自分自身が落ち着くか。いい感じでいられるか。

「掃除、毎日は面倒だけど、月一じゃあ汚いところで過ごす時間が長すぎる。週一だったらそんなに面倒でもないし、ホコリも気になるほど溜まってはいないから、ちょうどいいかな」とか。

自分で決められるし、気が変わったら、変えることもできる。

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終わりはなくても、一旦休憩はできる

2015年11月24日

前回、身体のケアもトラウマセラピーも掃除も終わりはない、と書きましたが、
一旦区切りはつけられる、一旦引き上げることはできる、わけです。

飽きたり、行き詰まったり、とりあえず満足したりしたら、一旦やめていいし、
やめてみたほうが良かったりする(情報処理には時間が必要だったりしますしね)。

身体の「歪み」という表現がよくありますが、歪みが1ミリもない人なんて存在しない。
その度合いの問題。

チリ一つない場所なんて存在しない。その度合いの問題。

トラウマ(ここで言うトラウマはPTSDなどに限らず、日常のささいな引っかかりも含めます)の影響がゼロになることもない。やはりその影響の度合いの問題。

問題をゼロにすることを目指すよりも、このくらいなら大丈夫(我慢するのではなく)、というあたりを知って、その大丈夫さを少しづつ拡げていくのがいいんじゃないかと思っています。

で、その「大丈夫ライン」は、自分で見つける / 決めることができる。
というか、自分しかわからない。

それができるようになる、もしくは「できそうかも?」と思えるようになることが、
ロルフィングベーシック10シリーズやSE™️セッションのゴールのひとつです。

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