ヴィパッサナー瞑想10日間コースに行ってきました③

上手いことまとまらないなあ、、と少々放置していましたが、やっぱり、うまいことまとまらないので、途中から箇条書きでメモしてしまいます。全て「私はこう感じた、こう思った」ことなので、ご自身が体験された、もしくはこれからされるなら、その体験を大切にしてくださいね。

毎日瞑想に取り組んで、夜に講話を聞いて考えていたのは、だいたい自律神経系の働きについてだった。私がソマティック・エクスペリエンシング®︎( = SE™️)という自律神経系に働きかけるトラウマセラピーを行っているということもあるけれど、瞑想中に平静を保つということは、自分の自律神経系システムの働きに向き合うことでもあるからだ。

自律神経系の作用は自分の意思でコントロールできない。「右手を挙げよう」と思ってそうするようにはできないし、「数秒間、息を止めてみよう」と思ってそうするようにもできない。できることはただ、環境を整え(てあげ)ること。

種をまいて水をやって日当たりや風通しを考慮することはできるけど、発芽を急かしたり、花の咲く日を決めたりできないのと似ている。

ざっくり言うと「早寝早起き腹八分目で規則正しい生活」は、多くの人にとって手っ取り早い環境整備だ。当たり前といえば当たり前の、すぐに取りかかれて、しかも無料!の、やらない手はない、自律神経系が健やかなリズムで穏やかに作用できる環境。なんですがね。。

「それが、できないのよね、、」という方にSE™️はオススメですが、みんなと一緒ならスタートできそうという方には、ヴィパッサナー瞑想も選択肢の一つになるかもしれません。

SE™️で言うところのトラウマは、個人個人を特徴づけるものでもあって、これまでのパターンを踏襲した「その人」でいやすくさせるものでもある。

人はそれまで生きてきた経験と、それに対する自分自身の身体の反応の蓄積でできていて、その蓄積が好ましい・悪くないものであればとくに名前はないけれど( " 学習 " になるのかな?)、それが好ましくないものであれば「トラウマ」とも呼ばれる。「発酵と腐敗」のように、同じものでも役立つか否かで便宜上別の名があるだけかもしれない。

コースで言う「サンカーラ」は両方を含んでいた。だから、浮き足立っちゃうような、ハイな感じの楽しさ嬉しさも抱えこまず、変化する、過ぎ行くものとして観察する対象にしている。嫌な感じのものを無視したり避けたりしないし、いい感じのものも同じく、去っていくのを止めない。

講話では、「サンカーラの蓄積を、まずはこれ以上増やさず、そして刻々と積もっては消えるのを見届け続ける。すると、あるレベルで落ち着きが生まれる。その後は、これまでの蓄積を浮かび上がらせては消えるのを見届け続ける。そして、蓄積がなくなったときが涅槃。」と言っていて、それって、まさに究極のトラウマセラピー完了!なんじゃないかと思った。

それは以前ロルファー仲間と話したこととも似ていて、トラウマの蓄積で良くも悪くも今の自分の個性、特徴が形作られてきているなら、トラウマセラピーで少しづつその蓄積を減らしていって、ついになくなったら、どんな人になるんだろう?皆がそうなったら?

、、平和で優しい自立した人になるんじゃないかと思うけど、でもしかし、皆同じような人にならないか?それって面白いの??と思ってしまったことがある。

今回、沈黙が解かれた後、「煩わされることだけじゃなくて、楽しみとか喜びの追求もしないんだね」と参加者の一人が言っていて、まさにそうそうそう、と。それって楽しいの?と。そんな私に涅槃〜解脱は遠い。

トラウマ反応は本人に選択の余地のない自動的なリアクション。赤い靴に踊らされているようなもので、止まりたくても止まれない。トラウマが解消されることで理性が発動できて、リアクションを理性で選択できる余地が生まれる。

けれど瞑想状態って、おそらく無数にある選択肢のうちの一つを「これ。」と、スッと自動的に選択しているときの感じに似てる。経緯が無い。直観、ゾーン、フロー、そんな状態と似てる。

同じ「選択肢がない」でも、消去法ではなくて、トラウマ反応ではなくて、「この振る舞いよりもジャストなものはありえない」というようなクリアな感じ。全然違うな!

当然ながら瞑想中はサンカーラがありまくりで、嫌なこと、腹が立つくこと、楽しいことなどなどが思考に浮かんできて、そのストーリーを展開しては(過去に遡ってこうすればよかったああすればよかったとか、未来はこうなったらいいのに、こうはならないでほしいよねえとかいくらでも)、ああ、瞑想しに来てるんだった!と気づいて現在の身体感覚観察に戻る、を繰り返していました。

そして、日が経つにつれて、そのストーリー展開にパターンがあることに気づいてきました。そして「またこれか!」と、多少飽きたり呆れたりもし始めました。そのような作用もあるんですね。他人に「またそれか!」と言われたらムカつきますが(笑)、自分が飽きてきたのなら仕方ないです(爆)。

そして「聖なる沈黙」と言うルール(他人とコミュニケーションを取らないこと。身振り手振りも含めて話さない、目を合わせない)は全くストレスではなかったし問題もなかったけれど、クローバーの花がいい匂だな、雑草の花がきれいだな、うぐいすのさえずり声がいいなあと思ったときだけ、誰かにそれを言いたかった。本当に話したいことは、そのくらいなのかもしれない。

その他、滞在中気になっていたのは、、

①ゴエンカ氏の詠唱がくどいこと。変な上司のカラオケに付き合わされているみたいだった。瞑想状態でいい感じだったところを台無しにするかのごとくでイライラさせられた(笑)。たぶんこれが私にとってはいちばん修行的だったことで、日々試され続けていた。一応念のため、他の参加者で「私、あれ結構好きだった」という方もいたので、感想は人によると思います。

②参加者の一人がときどき声を発していてドキドキした(面白かった)。聖なる沈黙が続く中、声がする??と思ったら、歌っていたり、独り言を話していて、自由だなあと思った。後で聞いたら、お腹の子に話しかけていたそうです(妊婦さんなので)。ちなみにインドでコースに参加したことある方いわく、インドでは、聖なる沈黙は有って無いようなもので、皆おかまいなしに話してたそうです。ええーっ!?(笑)。

③甘い消えない柔軟剤?洗剤?の香り。瞑想ホールで足の痛さよりもキツかったのが、実はこれ。参加の際の注意事項として「匂いの強いシャンプー類はお控えください」とありましたが、できれば服の洗剤類もそうあってほしいと願う。途中から「ご自由にどうぞ」と置かれていた使い捨てマスク着用でなんとかやり過ごせました。ビバ!マスク。

④一目でわかる妊婦さんが3、4人参加していた。みなさんタフだわ、、と思った。

⑤「座る」と言う動詞には「瞑想する」の意味もあることを知った。

以上、(ゴエンカ氏の詠唱がなければ)また行ってみたいと思ったヴィパッサナー瞑想の覚え書きでした。

余談:近所のお寺の座禅会に、先日久しぶりに行ってみました。以前は30分座るのが大変もいいところ(足は痛いし落ち着かないし)でしたが、身体的には結構いけるようになっていた。

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