生ゴミ処理、段ボールコンポストの勧め

生ゴミ処理に段ボールコンポストを使い始めて10 年過ぎました。おおよそ3ヶ月分の生ゴミがミカン箱1箱程度の堆肥になるので(*)、これまでで35~40箱分になりますか。できた堆肥は庭に撒いたり土と混ぜてプランターに使ったりしていますが、庭が堆肥で溢れることはありません。あの嵩はどこに行くんでしょうか。

* 中高年3人家族の一例です

コンポストを始めたきっかけは、"生ゴミを土に還す" を持続的にやりたかったからです。"切った野菜の皮は、ゴミ入れに入れる直前までは食物だった" のに、それが、「くさ〜い」とか「じくじく、ぬるっとしてイヤ」というような "生ゴミ" になるのが、ずーっと不思議で、そしてさらに時間が経つと "堆肥" と呼ばれる役立つものにも変わるというのがさらに不思議でした。

もちろん理屈ではわかるんですけどね、発酵とか腐敗とか。でも実感としてわからなかった。食物がいつゴミになって、ゴミがいつ堆肥になるんだろう。小学生くらいの頃からやってみたかったんですが、親戚の家の農家で、庭や畑で堆肥作りをしてるのを見ても、自宅にはさすがにそんな広さはないし、狭い場所でできる手立てもわからず、ずーっと「いつかやってみたいなあ」とだけ思ってました。

ミミズコンポストとか、近所にあんなにたくさんミミズがいないし!とか、ときどき悶々としてたんですが、あるとき段ボールコンポストを知って、これは出来そう!と喜び勇んで始めたのが10年近く前でした。

最初は、籾殻くんたんとか腐葉土をホームセンターから買ってきて始めました。段ボールは、ありものでいいや、と、家にあった丈夫そうな厚めのやつを使いました。段ボールにかけるカバーは古いTシャツを首と袖を縫って閉じて使いました。このカバーは、冬の保温(大したことないけど、ないよりはあった方が保温の助けになる)と、春夏秋は主にアメリカミズアブが入らないようにするためのものです。

ネットで検索すると、いろいろな方の工夫や試行錯誤が見つかるので、それらを参考にしつつやってみましたが、なかなか温度が上がらなくて野菜クズがそのままずっと残ってたり、水分が多すぎてベチャベチャになったり、かと思えば、真冬の寒ーい日なのにコンポストからは湯気が出て中に手を入れると「熱い!」というほどになったり、、などなどを繰り返しつつ、現在はかなり大雑把な世話でもどうにかなるようになりました。

多分、1番のポイントはコンポストに入れる生ゴミの水分量管理だと思います。水分が多すぎると、温度が下がる&コンポスト内に空気の層が出来にくくなる(嫌気性発酵になってしまう)のがよろしくないですが、温度が上がりすぎて乾燥気味な日が続くと、ゴミは分解される前に単に乾燥するだけになる(量は減りますが!)。

まずはその水分量とコンポスト内外の環境を観察しつつ、投入するゴミの量や種類を加減していけば良いと思います。すると、いろんなことに気づいたりして、厄介者だった生ゴミが、面白い実験素材に変わってきます。

生えてくるカビにも特徴があったり、アメリカミズアブの幼虫が初めて大繁殖したときは、ものすご〜〜く気持ち悪かったのに、だんだんゴミを食べて処理してくれるスピードに惚れ惚れして、それほど嫌ではなくなってきたり。投入するゴミによって、微生物たちに分解されていくスピードが全然違うことに気づいたり。

カロリーの高いもの(*)は分解されると熱も発生するので寒い時期は重宝するとか、動物性タンパク質は分解されるとき臭いけど熱源にもなるとか。殺菌作用があると言われる玉ねぎの皮(乾いたところ)、月桃や笹の葉、柑橘系の外皮などは分解されるスピードが遅いとか。自分の腸内環境を振り返りたくもなります。

* 魚のアラ、肉の脂、ご飯や甘いお菓子の残りなど

私の場合、おおよそ3ヶ月生ゴミを投入し、箱がいっぱいになって分解が遅くなってきたら、新たな箱で新しくコンポストを作ります。まず、いっぱいになったコンポストから新たな箱に、菌種(?)として少し中身を投入します。糠床みたいな感じでしょうか。その後、古いコンポストは時々かき混ぜながらやはり3ヶ月くらい熟成させてから堆肥として使います。つまり、常に2箱コンポストがある状態です。

堆肥自体の質についての良し悪しは正直わかりません。住んでる土地のものだけが入ってるわけではないし(熱帯の果物の皮とか、コーヒー滓とかね)、家族が毎日食べてるバナナの皮とか柑橘の皮の多さはバランスとしてどうかと思いますし。一応気をつけているのは、調理済みの食べ残しの塩気を抜くことくらいでしょうか(1日くらい水につけています)。

明らかに楽になったのはゴミ捨てです。匂う& 水分で重くなる生ゴミが無いというのは、ゴミ捨てが週一以下で済むし、ゴミ置き場へ運ぶのも軽くて楽です。

それにしても、不思議というかやるせない気分になるのは、生ゴミはないし、各種紙ゴミは市で「雑紙」としてリサイクル収集されていて、食品トレーや牛乳パックはスーパーに持って行ってるのに、なぜかゴミが出続ける謎ですね(汗)。包装材のビニール袋、パッケージのプラゴミの量には、いまだにどうにかならないかと頭を悩ませています。うーむ。

、、、と、悩みも出てきますが、できた堆肥には「堆肥」としての役割のほかにもお楽しみがあります。各種の「種」はやはり分解しづらくて堆肥にそのまま残っていることが多いです。するとどうなるかというと、堆肥を使ったところから何かの芽が出てくるんです。

多くは、トマト、南瓜、冬瓜、スイカ、ですが、福袋的に何が出てくるかわからない面白さがあります。とくにトマトは実ができるまでどんな種類かわからないので楽しさ倍増。うちでは多くの場合ミニトマトのことが多いですが、たま〜に普通サイズだったり、黄色のだったりアイコだったり、何ができるんだろう??と気長に待つなど。

自分が食べたものと同じものがコンポストに投入されるので(実ではなくて皮や芯が主だから、全く同じではないですけれど、残りものはまあ同じ)、なんとなく自分の腸内環境も似てるところがあるのかも?と思ったりなど、自分の身体の栄養源や消化過程を振り返ったり、自分の意志だけでなく環境との協働作業で培われること(微生物による分解は環境を整えて気長に待つものですし)を再確認する機会にもなっています。

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