なぜこんなに面倒なのか?〜いまさらながら「お片づけ」に手をつけて

 自宅の建て替えが約20年前にあって、ちびっ子だった頃からの、ある程度の大物はそのときお別れして、10年前には本や漫画やレコード・CDを真剣に吟味して残すものを選び、服も厳密ではないけれど「もう着ないだろう」と思われるものは処分したことがあります。

ちなみに、このときにヤフオク・デビューして、この雑誌が売れるんだ!?とかビックリしたことがあります。それ以前、古本屋に大量の漫画を買取依頼のために持ち込んで、二束三文の値付けに泣きそうになった経験から言うと、信じられない思いでした。

で、そのとき「今、家にある自分のものは全部必要なものである」と、清々しい気分でいて、部屋も掃除しやすくなったし、もう必要なもの以外は無闇に買わないことに決めたんですが、そして実際、無闇な買い物はしてない(はず)ですが、やっぱり生きてるとモノはそれなりに増えるし、好みも変わるし、服も入らなくなるんですね(爆)。

やっぱり、いちばん簡単に増えてくのは本です。なるべく図書館で借りることに決めたものの、すぐ読みたいものや、仕事で繰り返し読むもの、図書館にはない漫画は購入しますので、じわじわと部屋のスペースが削られていき、掃除がしづらくなってくる。そして、10年前には必要だと思ったのに、なんと10年間全く手をつけてない、見てもいないものが結構あることにも気づくようになってきました。

一昨年あたりから「またモノの見直ししないとなあ、、」と思ってましたが、手を付けるのが面倒で後回しにしてました。しかし、今年の5月に仕事場の引越しをして、軽く荷物の整理をしていたら、自宅もそろそろどうにかしたいと思うようになりました。

そして逆輸入(?)で話題になっていた「こんまりメソッド」の本を読んでみたところ、口調の可笑しさと、きっぱりさらりと本質的なことが書いてあったことに興味を持ち、実践してみようと取り掛かかったのですが、服を全部広げてみるところからして面倒です!で、この面倒さは、本当に自分に向き合う、容赦ない面倒さなんですね。

「好みからはちょっと外れてるけど便利だから」「あとで使うかもしれないから」「今はそうでもないけど、気に入ってた時があるからおいそれと処分できない」、、、etc。いらなくなった身体の癖、解消・終わりにした方がいいとは思ってるけど執着しちゃってるトラウマ(ストレス反応)、身体ごと欲してはいないけど口にしてしまう食べ物、、、etc。ほんっと同じことで。

「自分がときめくものを残す」なんて簡単なことのはずなのに、自分以上に優先している何かが、まだこんなにあるなんて!!!とビックリもしました。自分を尊重するのって面倒だなあ!とまで思ってしまいましたよ(実際、私以外にも世の中にそんな人は多いと思いますが)。

でもこれ、面倒でもやった方がいいですね。自分のためにも、周囲の人たちのためにも。自分がやったこと・やろうとしてることを自分自身で引き受けるというのは時にしんどいですが、損得や便利さではないところで、身体反応で自分が何を選ぶのか、何が残るのか、改めて知る機会になるなあとも思います。

そして、選ぶのが面倒になって「全部もう捨てちゃえー!」というのも違うんですよね。トラウマ・セラピーの世界では、愛着障害、発達性トラウマがよく話題になりますが、クライアントが大人の場合、「大人になった自分が、小さい頃、誰か(多くの場合は親)にして欲しかったことをしてあげる」ことで癒されるケースは多いのですが、それと似ているかもしれません。

面倒ではあるんだけど、身体の反応(本の中では「感情」と書かれてますが、触覚を通した身体反応だと私は捉えています)が起こるのをちゃんと待ってあげて、選ぶのにも、躊躇したり名残惜しかったりする時間をちゃんとってあげて、今現在の自分には不要となったものと丁寧にお別れする。

こう書いてみると、まさに発達性トラウマのセラピーですね。それなりにしんどいわけです。そして、「お片づけ」をしっかり終えると部屋がきれいになるだけではなくて、片づけた本人に変化が見られるのは当然だなあとわかります。

自分が自分にとことん付き合ってあげて、部屋もきれいになるチャンス。自分自身の尊重の仕方を、改めて確認してみましょう!

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