自分自身に親切であること

自分を大切にするとか、自分を尊重するとか、そういうことの話です。

たまにこのブログにも綴っていましたが、私は一昨年から昨年にかけて「自分がいま、何をどのくらい食べたいか」ということを丁寧に自分の身体に問うダイエット(オリジナルの実験です)を試みていました。

例えば「麺類を食べたい」と思ったときには、うどんなのか?蕎麦なのか?それともパスタ?ラーメン??と問い、うどんだったら、カレーうどん?たぬき?温?冷?などなど、可能な範囲で細かく特定するようにしました。

また、家に蕎麦はなくて、しかし「うどんはある」という状況で蕎麦が食べたくなったら、「似たようなもんだし、うどんでいいや」とお茶を濁さずに蕎麦を買いに行ってみたり。

アイスが食べたいと思ったら、どんなアイスが食べたいか?(ベストなのは福岡の柳川の椛島氷菓のジェラート&アイスキャンデーだけど、入手できるのは数日後になってしまうので、近所で買えてすぐ食べられる)ハーゲンダッツにする、など。そして、ハーゲンダッツの何にするか。苺?抹茶?クッキー&クリーム??そこもちゃんと吟味してみる。

量も、「もったいないから残さず食べる」というのを生まれて初めてやめてみて、「甘いもの食べたから塩味も欲しいなあ」や、「ここのオムライス好きだからいっぱい食べたい」もやめて、「お腹いっぱい」ではなく「美味しく食べられる量」を今日のお腹(身体)に丁寧に問うようにしました。

そういったことを改めて意識的にやってみた結果、我慢せずとも食べる量も体重も良い感じに減りました。そして間食をあまり欲しなくなり、気分的には朗らかさや軽やかさが増していたと思います。なんと、いいことばかり!

自分の欲求を丁寧に扱ってみたところ、それがとりあえず食に関してのみでも、思いのほか自分自身が満たされるんだなあと知りました。そして常日頃、自分自身を結構雑に扱っているんだなあ、、ということにも気がつきました(汗)。

「〇〇は身体の△△に良いらしいから食べる」とか、「(お腹いっぱいな自分を置き去りにして)残さずきれいに食べる」とか、自分の中から生じるものよりも、外部の指標を優先していることがまだまだ多いんだなあ〜と、そしてそれが無意識の選択だったことも多くて軽く驚きました。

自分自身を丁寧に扱い続けるのはなかなか大変なことでもあるなあ、と気づいたのは大発見でした。面倒くさくなったり、扱いが雑になったりももちろんします。そうやって自分が手間をかけなかった分を、自分以外の何かや誰かに肩代わりして欲しくなったりするのかもしれませんね(^^;。

人には「親切満たされレベル」があって、親切は自分でしても他者からのものでも構わないけれど、常にそこまでは満たされていたいんでしょうか。自分で十分つぎ込めれば他者からのものはいらない(というか必須ではなくありがたいオプション)けれど、自分で賄いきれないときは他者からのものを欲する(というか、必要とする)のかも?

承認欲求に振り回されるのは自分で賄えないときで、自分でできないから外注するけど余力がないから丸投げで、そのくせ外注先から提示されたものが気に入らない状態なのかもしれない。実際は親切にできないというより、できることを忘れていたり、できることに飽きたり疲れたりしてるんだと思いますが、ある程度本人による親切のお手本があれば、外注先にも参考になるので、やはり自分が自分に親切であることはいちばん最初に大切なことかもな、と思いました。

もちろん他者に親切にしてもらったり丁寧に扱われるのは嬉しいことですが、満たすための全部が他者からのものじゃなくていい。というか、常に割合は変化するにせよ、おしなべてのメインの親切者は自分自身であるのがいいと思います。

そして、他者に親切にしたり丁寧に接することについては後日また。

コメント

人気の投稿