生活(豆の煮方と、掛け布団カバーの修繕、靴を履き倒すこと)

ムングダル(皮をむいた緑豆の引き割り)を煮ることについて。小粒だけどそれなりに厚みがあって硬いので、なんとなく一晩水につけてから煮るもんだとばかり思って、それなりの量の一袋を、ほぼそうやって使ってきたのだが、、煮ても煮てもいつも硬い。どうやってもムングダルカレーにならない。3時間ぐらい煮続けたこともある。

昨日、残りあと100gになって「これはきっと豆が古いんだ。だからどうしたって硬いままなんだ」と「一晩水につけておくほどの量もないし」と、さっと洗ってそのまま煮てみたところ、、なんと30分足らずで柔らかく煮えてしまった(汗)。

これ普通にムングダルカレーじゃん!しかも時間かかってないし。一晩水につけてたのは無駄どころか余計なことじゃないか。なんてことーーー!!豆の性質はわからないものですね。。

20年前に購入したソレイヤードのシーツと掛け布団カバーのセット。とても気に入っているけれど現在はもう売ってないのでチマチマ修繕しつつ使っていたのですが、2、3年前、シーツの中心部分が派手に破れたのでさすがに引退させつつも、周囲はまだ十分使える状態なので捨てずにとっておきました。

昨冬、掛け布団カバーの裏面も修復するのが相当面倒な状態になったので「どうしたもんか」と思いつつ、夏のタオルケットの季節になり、再び冬がきて(現在)、シーツの生きてる周辺部を大々的に掛け布団カバーの裏面に充てようと先日取り掛かったのですが。

布の縫い目を解くのが面倒だけど、それさえ終えれば生地の張り替え(?)自体は簡単だと思っていた。しかし、新しい生地ではないので生きてるところも布の強弱があって、なるべく一面均質になるように、しかも最初は図柄を合わせることまで考慮していたらものすごく面倒で思ったより大仕事になってしまった。

途中から図柄合わせはやめて、布の強弱の質を揃えることに注力。しかし作りたい面積が大きいとサイズを測ったり布を広げたりが大変。「新しく作る」より「リメイク、リサイクル」ってやっぱり手間がかかるのだ。途中から何のために何をやってるのかわからなくなってきつつも、完成の手応えも見えてきたら気分が変わって改めてやる気も出てくる。

そしてようやく形になる。掛け布団カバー再生!!喜びもひとしお。一度洗濯したら、まるで新しいものを購入したかのようなフレッシュな気分。肌に触れる布地の新たな感触を味わいつつぐっすり眠れた。すごい!

実はこのシーツ&カバーは柄違いがもう1セットあって、2度目は大体やること同じだからと高を括っていて、ちょっとナメた態度で取りかかったところ、同じ人(私)が同じように寝てるはずなのに布の消耗具合が先の物とはちょっと違っていて、やっぱりパズルのように布の強弱の質を揃えるのはそれなりに難儀だった。

け・れ・ど、作業はしてればいつか終わる。生まれ変わった掛け布団カバーその2。洗濯までは終えていて、まだ使ってないけれど、やっぱり新品を購入したかのような気分になれるのだ。早く使いたい!これで寝るのが楽しみになってくるほどだ。

そして気づいたのが、靴を履き倒すこと。とても履きやすくて気に入っているpotaのスリッポン。ただ、いつも履いてると靴底の減りも早く、本体のヌメ革もうっかり傷つけてしまうこともあるし、私にとってはそこそこ高価なものだから、もちろん履きやすいものの、なんとなく気を使って履いていた(ことが後から分かった)。

最初に買った茶のスリッポンはソール全交換もしたことあるけど、皮にちょっと傷もつけてしまったし、靴底もまた減ってきたし、もう長くはないかなあとバックアップでもう一足入手した。

注文してから手に入るまで時間がかかるし、修理も3ヶ月くらいはかかるので、「バックアップがある」というのがこんなにも安心するのか!とビックリするくらいの安心感があって、ならば、と元からあった「もう長くはないかなあ」と思ったほうを履き倒すつもりでヘビーユースしてみたこの1年。

これが、今まで何だったんだ?!と思うくらいの履き心地を味わった。もともと履きやすかったけど、それまではどうも私なりに変に気遣っていたところがあって、「履ききって」はいなかったのか、ということに気づいて呆然とした。何のための「靴」なのかと自問自答してしまったほど。

雑に扱って傷ませることをわざわざすることはないけれど、靴に遠慮しつつ「履かせてもらってる」ような状態はバカバカしすぎる。ヘビーユースした1年、縫い目が解けたことはあるけど縫い直したら大丈夫でまだ健在。思ったよりもタフなんだな。と、頼もしく思って今日も履いていた。

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