八月に生まれる子供 by 大島弓子

ふと思い出して、大島弓子の漫画を久しぶりに、本当に久しぶりに読んでいます。猫マンガではない最新作って何だっけ...?と、一瞬考えた後に単行本「ロストハウス」を手に取りました。1995年って、もう20年近く前になるんですね(汗)。

実は発売当時も、その後何度か再読したときも、この単行本に収録されている作品群はあまり好きではありませんでした。「クレイジーガーデン」以外、全ての読後感に、希望や救済よりも辛さ、苦さ、(あまり嬉しくはない)ひっかかりのほうが勝ってしまい、何かをこらえる必要があったからです。

今回初めて、以前とは違った読後感を味わっています。とくに「八月に生まれる子供」について。冒頭のモノローグに「わたしは わたしの王女様である」「そして その民である」とありました。以前はなんのことか意味がわからなかったけれど、心身のこと、もしくは思考と身体のこと、中枢と末端、その両方ともが私、というふうに捉えました。

「自分のことも人のこともわからなくなって、植物人間状態になったら、安楽死を乞い願う」と書いた後日、新たに「前言撤回、もしも私が異常をきたし、死にたいとわめいても、心臓が力つきて止まるまで、その命をたすけてください」と書き直された手紙。

昨年、祖母が死んでから(正確には認知症が進んでから)、ずっとひっかかっていたことでもありました。生きようとする/やめようとする意志は私のものです。そして、停止しない心臓も私のものです。

心臓が力つきて止まるまで、その命は助かっていい。生きようとする身体に生かされることに大きくYESと言う作品。すごいです。この、暢気さのかけらもない大きな肯定はどこから湧いてくるんでしょう。

祖母は入院してから辛そうに見えることのほうが多かったけれど、私としては生きていてほしかった。そう願うのは、祖母にとっては迷惑なのかもしれないとも思いつつ。でも「書き直された手紙」は、祖母のなかにもあったかもしれない。そのことに私が救われてしまったということです。

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