悩みを悩むことについて

悩みを悩んでる人が結構多いなあと思います。何かを解決しようと悩んでいるのではなくて、悩むための悩みを探して悩んでいる人。

理由はおそらく、身も蓋もない言い方をすると、①暇だから。そして、②「やればできる子」でい続けられるから。そして、③「必要な何かを解決するための悩み」には(まだ)取り組みたくないから。

こういう場合、悩みは解決しちゃったら困るんですよね。

悩み続けていれば、何かをした気にはなっていられるから暇じゃなくなるし、もしかしたら悩んでいるうちに何か素晴らしいアイデアをひらめく可能性も無きにしも非ずだし。

で、それらは別に問題じゃないとも思っています。カッコ良くはないけれど、そんなウダウダもアリだよなあ、と。人間だもの。

解決するための悩みに取り組むには、自分自身の痛いところ(*)に向き合うことになるかもしれないし、そのためには気力も体力も時間も必要だったりするので、自分のコンディションが整うタイミングを、待てるなら待ってもいいんじゃないかと思っています。

ただ、「自分は今、『悩みを悩むプレイ』をしている」ということには気づいているのがいいと思います。「悩むための悩み」は解決したら困るから解決しないので、プレイということに無自覚に悩み続けているとドツボにはまるというか、ミイラ取りがミイラになるというか。

私自身もときどきやってますが、気づいたら、「趣味としてやっている自覚」を取り戻すようにしています。

*自分自身の痛いところ。例えば、、

暇だけど、暇じゃいけない(と、自分で思ってる)から。何かしようとしても、(人からすごいと言われるほどうまく)できる自信がないから。そして、そのための努力をしようとは思わないから。なぜなら、努力しても、(人からすごいと言われるほどのことが)できるとは思えないから。

アイタタタ。迷子になったときは、その時点で自分が一番時間を割いてやっていることを、それをくだらないことだと思っていたとしても、普段より丁寧に、ゆっくりと、味わうようにやってみると、何かが変わってくるかもしれません。

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