身体は何のためにあるのか

のっけから、ですが、私自身は「身体を鍛えるために、鍛えること」が全然好きじゃありません。が、「動くこと」自体はわりと好きです。

プールで泳ぐのは好きじゃないけれど、海で泳ぐのは好き。ボルダリングジムは好きじゃないけれど、塀を登ったり木を登るのは好き。エアロビ的なエクササイズは好きじゃないけれど、バレエのバーレッスンは好き。

「鍛えた先にあるもの」が、それを体験すること / 味わうことが、好きです。

「(身体にとって)運動したほうがいいのか、しないほうがいいのか、どっちなんですか?」と聞かれることがありますが、、する / しない、ではないんです。

白か / 黒か、じゃなくて、その間のグラデーションから、自分に最適なのはどのあたりか?を見つけていく、知っていくことがいいのではないかと思います。チャコールグレーとか、ライトグレーとか濃淡がありますから。

それには、自分の身体からのフィードバックをもらうのが一番です。「死にそうなほど疲れた」、「心地よい疲労感だ」、「全然普通と変わらない」、とか。何かしら感覚しているはずです。自動的に。

それで、昨日ふと考えたんですが、、好きなものを好きなだけ(欲するだけ)食べて、飲んで、摂取して、それで太らず、痩せすぎもせず、病気や不調にもならなかったとしたら、私はどんな行動をとるだろうか?

際限なく豚の角煮を食べ続ける、雑煮を食べ続ける、美味しい焼き菓子を食べ続ける、かもしれないなあ、、と。食べ続けるのをやめるきっかけは何だろう?と考えると、やっぱり「お腹いっぱい」という身体の機能に安心しました。

「物理的に品切れ(=お金?)」や、「飽きる」というのもありますが、身体からの「お腹いっぱい」、これがやっぱり自動的で便利です。

応用(?)として量だけでなく、「今、食べたいもの」というのも、身体から発せられていると思います。それを都度丁寧にすくい上げていれば、そうそう不調にも陥らないんじゃないかと思います。

運動する / しない、も、そんな風に決めていくのが良さそうですが、いかがでしょうか。

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