安全な場 〜 柵、囲い〜ライ麦畑でつかまえて

ロルフィングでもSEでも、セッションには安全な場が大切であることが挙げられます。安全な場ってなんだろう?どんなだろう?ということは、試行錯誤しながら、ずっと考えてきました。どんな環境で安全・安心を感覚するかは人によって違うこともあって。

そして、私自身にとっての安全な場とは、どんな環境だろう?ということも、体験を経つつ、ずっと考えてきました。そして、とりあえず現時点では、「自分の身の安全の確保を、自分一人でしなくても大丈夫な環境」にたどり着きました。

SEでは、プラクティショナーは、クライアントの安全なコンテナー(容器)であることが期待されますが、私自身は、やり手としても、受け手としても、どうもしっくりこなかったです。

容器に入っていると言うことは、まあ安全かもしれないけど、窮屈なことだなあと。シェルターとか子宮の中とか、そんなイメージもあるのでしょうか。囲う/囲われる、覆う/覆われる、包む/包み込む、どれも個人的には窮屈さを感じる。いざとなっても逃げにくい、という点からは、危険な場合さえあるし。

しかし昨年末ごろ、ようやく、柵や囲いって、一方向ではないことに気がつきました。逃さないための囲い、危険な方に行かせないための囲い、危険なものが入ってこないための囲い、などなど、形状や設置の意図によっても役割がかわるなあ、と。

逃さないために入れられた容器は大抵誰もが嫌だと思いますが、考えてみれば、山道の崖側に設置されているガードレールや、ビルの屋上の柵は超頼もしい!し、寝るときは家の中がいい(野外でもテントなどの中の方が安心しますよね?)。

容器自体を、伸び縮みできる材質で、Maxのときには受け手に窮屈さを全く感じさせない大きさに育てていこうと思いますが、当面は、現時点で一番しっくりくる「ガードレール」でいきたいと思います。

20歳前くらいに「ライ麦畑でつかまえて」を読んだとき、「???、なに言っちゃってるの?」と、青さが鼻について嫌だったホールデン君。彼がやりたかったのは、これなのかなあ、と。青臭いとか思ってて悪かった!

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