分からないままに描くこと

身体性について。先日のNHKの「漫勉」五十嵐大介の回をようやく見ました。見たもの、感覚したもの(「空気感」という言い方をしていました)を、紙とペンで表現できる。私からしてみればサラサラと現われてくる。線や絵は生き物みたいだった。

見て、感覚することができても、表現にアウトプットするには技術も要る。「自然は分からないもので、分からないままに描く。"分かるもの"として描くとそれは表現できない。」といったやりとりが印象的で、「分からないままに描く」というのがどんなものか、少しわかったかもしれない。動きがある、生々しい、蠢くような。

人の身体も自然そのもので、分からないことだらけだ。「分かるもの」として扱うと、歪みを矯正とか「正す」方向に向かうんだろう。分からないままに扱うと、自動的に(自然に?)そこから立ち上ってくるものがある。

分からないまま扱うというのは、行き当たりばったり、なんの知識も背景もない、というわけではなくて、たとえば解剖生理学の知識に(参照はしても)あてはめようとはしないこと。分からない状態には動きがあって、そこから自ら立ち上ってくるものがある。

それはたいてい美しいものだという実感があります。

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